米軍の救援活動 v.11
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米海軍所属マイク・モルリー少佐のレポートを紹介。
※在沖米国総領事館による情報の提供
東北での災害救援活動を行っている間に、自分宛に送られてくる何百という電子メールの中に、「私は14才の日本人です」という奇妙なタイトルのメールを見つけました。開いてみると、しほさんという北海道に住む女の子からのメール。つたない英語で、米海軍第7艦隊のホームページに大船渡港から津波で流されたお父さんの船である宝亀丸の写真が掲載されていたこと、申し訳ないが写真を撮った日付と位置を教えて欲しい、とのメッセージが書き込まれていた。
それまでに2週間近く、津波の惨状を見てきたので、このしほさんの「申し訳ないですが」という言葉に深く心を打たれた。自分の不幸な状況よりも私に、この依頼をすることで面倒をかけることを気遣うなんて・・・。悲劇が連鎖して自分達に降りかかって来ている状況の中で、「申し訳ないですが」という言葉は、それを冷静に、そして静かな尊厳でもって耐えることで、世界中を賞賛を受けている日本人を象徴するものだと思った。
地震、津波、原発事故はその一つが起こっても惨事であるのに、日本人は同時に3つを耐え抜いています。2週間が経過しても暴動は起きず、物資の略奪は起こっていません。人々は水、食事、ガソリンを求め辛抱強く列に並んでいます。日本人は一つになり同胞を助け合いながら、この惨事に耐えています。
僕は、自分の力で彼女を助けると決心し、写真の撮影された位置と日付を確認するとともに宝亀丸について他に情報がないか確認して知らせる、と返信しました。その後、私の部隊は彼女の船を撮影した米艦船と連絡を取り、他の艦船にも宝亀丸を見たものはないかと確認。
撮影場所と日付を特定し、生存者の捜索を海上で続けていた艦船によって撮影されたものということをしほさんに伝え、海上自衛隊にも撮影された海域で船を見ていないか確認した方がいいとアドバイスした。
それからも私と隊員達は定期的に宝亀丸についての情報がないかをチェックし続けた。船は、写真をみる限りではレーダー等もかなりいい状態で少しの補修でまだすぐに使えそうだった。どうかそうであってくれ、とも願った。このような船は大変高価で、多くの漁師の方は補修費用の負担が難しいのではないかと思ったからです。もしこの船を失い、生活の糧を奪われてしまったら、このご家族にとって地震、津波、原発に続く第4の悲劇となるでしょう。
もし、宝亀丸の写真を他のサイトで発見したら私に連絡を下さい。もし祈るのなら、しほさんとその家族のことも祈って下さい。そしてこれを読んでいるのがアメリカ人であれば、この機会に自分自身を振り返り、日本人が素晴らしい模範を示してくれた博愛精神と謙虚さから学びましょう。文化的な違いはあっても、日本は世界の中で多分、私たちの最高の同盟国であり、彼らからは沢山、学ぶ事があります。
・・・このお話の続き
何と、3月26日にこの宝亀丸が発見された!との連絡がしほさんからあった。しほさんのお父さんは、モールリー少佐のアドバイス通り、提供された船の緯度・経度の情報等を海上保安庁と自衛隊に報告したところ、無事に船の発見に至ったとのこと。船はアラスカとフィリピン間のどこに流されていてもおかしくない状態で、米海軍の提供した情報をもとに海上保安庁が潮の流れを読み、特定の範囲に絞込み捜索した結果、もうすぐタグボードに引かれて無事にご家族のもとに戻ってくることになりました。
モールリー少佐は艦内勤務で被災地には実際に降り立つことはないまま救援任務期間を終えましたが、被災してしまったこのご家族にいくらかの安心を提供することが出来たということが22年間の海軍勤めの中で最も満足の行く仕事であったと振り返っています。

米海軍所属マイク・モルリー少佐のレポートを紹介。
※在沖米国総領事館による情報の提供
東北での災害救援活動を行っている間に、自分宛に送られてくる何百という電子メールの中に、「私は14才の日本人です」という奇妙なタイトルのメールを見つけました。開いてみると、しほさんという北海道に住む女の子からのメール。つたない英語で、米海軍第7艦隊のホームページに大船渡港から津波で流されたお父さんの船である宝亀丸の写真が掲載されていたこと、申し訳ないが写真を撮った日付と位置を教えて欲しい、とのメッセージが書き込まれていた。
それまでに2週間近く、津波の惨状を見てきたので、このしほさんの「申し訳ないですが」という言葉に深く心を打たれた。自分の不幸な状況よりも私に、この依頼をすることで面倒をかけることを気遣うなんて・・・。悲劇が連鎖して自分達に降りかかって来ている状況の中で、「申し訳ないですが」という言葉は、それを冷静に、そして静かな尊厳でもって耐えることで、世界中を賞賛を受けている日本人を象徴するものだと思った。
地震、津波、原発事故はその一つが起こっても惨事であるのに、日本人は同時に3つを耐え抜いています。2週間が経過しても暴動は起きず、物資の略奪は起こっていません。人々は水、食事、ガソリンを求め辛抱強く列に並んでいます。日本人は一つになり同胞を助け合いながら、この惨事に耐えています。
僕は、自分の力で彼女を助けると決心し、写真の撮影された位置と日付を確認するとともに宝亀丸について他に情報がないか確認して知らせる、と返信しました。その後、私の部隊は彼女の船を撮影した米艦船と連絡を取り、他の艦船にも宝亀丸を見たものはないかと確認。
撮影場所と日付を特定し、生存者の捜索を海上で続けていた艦船によって撮影されたものということをしほさんに伝え、海上自衛隊にも撮影された海域で船を見ていないか確認した方がいいとアドバイスした。
それからも私と隊員達は定期的に宝亀丸についての情報がないかをチェックし続けた。船は、写真をみる限りではレーダー等もかなりいい状態で少しの補修でまだすぐに使えそうだった。どうかそうであってくれ、とも願った。このような船は大変高価で、多くの漁師の方は補修費用の負担が難しいのではないかと思ったからです。もしこの船を失い、生活の糧を奪われてしまったら、このご家族にとって地震、津波、原発に続く第4の悲劇となるでしょう。
もし、宝亀丸の写真を他のサイトで発見したら私に連絡を下さい。もし祈るのなら、しほさんとその家族のことも祈って下さい。そしてこれを読んでいるのがアメリカ人であれば、この機会に自分自身を振り返り、日本人が素晴らしい模範を示してくれた博愛精神と謙虚さから学びましょう。文化的な違いはあっても、日本は世界の中で多分、私たちの最高の同盟国であり、彼らからは沢山、学ぶ事があります。
・・・このお話の続き
何と、3月26日にこの宝亀丸が発見された!との連絡がしほさんからあった。しほさんのお父さんは、モールリー少佐のアドバイス通り、提供された船の緯度・経度の情報等を海上保安庁と自衛隊に報告したところ、無事に船の発見に至ったとのこと。船はアラスカとフィリピン間のどこに流されていてもおかしくない状態で、米海軍の提供した情報をもとに海上保安庁が潮の流れを読み、特定の範囲に絞込み捜索した結果、もうすぐタグボードに引かれて無事にご家族のもとに戻ってくることになりました。
モールリー少佐は艦内勤務で被災地には実際に降り立つことはないまま救援任務期間を終えましたが、被災してしまったこのご家族にいくらかの安心を提供することが出来たということが22年間の海軍勤めの中で最も満足の行く仕事であったと振り返っています。
Posted by
Antenna
at
2011年04月01日
17:56
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